「英文法」を考える―「文法」と「コミュニケーション」の間 (ちくま学芸文庫)
池上 嘉彦 / 本
「英文法」を考える―「文法」と「コミュニケーション」の間 (ちくま学芸文庫) pdfダウンロード - 池上 嘉彦による「英文法」を考える―「文法」と「コミュニケーション」の間 (ちくま学芸文庫)は筑摩書房 (1995/9/1)によって公開されました。 これには315ページページが含まれており、本というジャンルに分類されています。 この本は読者からの反応が良く、11人の読者から4.1の評価を受けています。 今すぐ登録して、無料でダウンロードできる何千もの本にアクセスしてください。 登録は無料でした。 サブスクリプションはいつでもキャンセルできます。
「英文法」を考える―「文法」と「コミュニケーション」の間 (ちくま学芸文庫) の詳細
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タイトル
「英文法」を考える―「文法」と「コミュニケーション」の間 (ちくま学芸文庫)
作者
池上 嘉彦
ISBN-10
4480082301
発売日
1995/9/1
カテゴリー
本
ファイルサイズ
20.43 (現在のサーバー速度は23.85 Mbpsです
「英文法」を考える―「文法」と「コミュニケーション」の間 (ちくま学芸文庫) pdfダウンロード - 内容(「BOOK」データベースより) なにげない英文「書き換え」の奥に潜む人間の認知の営みの深い意味。
カテゴリー: 本
「英文法」を考える―「文法」と「コミュニケーション」の間 (ちくま学芸文庫)を読んだ後、読者のコメントの下に見つけるでしょう。 参考までにご検討ください。
チョムスキーの言語獲得理論によると、乳幼児の固有言語への適応過程は、みずからの文法を獲得することにあるのだ、と考えられます。おそらく乳幼児は普遍言語らしきものを担って生まれ、その後「現に生み込まれた」(actually born into)固有環境にて固有文法に適応し、そのときに併せて「いいたいこと」を獲得するのでは。そして、そうした過程の分岐性というか分節性は、事(言)分けの世界といみじくも一致し、無意識の世界をも分節化してゆくのでしょう(⇒ソシュール理論などもご参照)。即ち、各人にとって文法の習得はほかならぬ「いいたいこと」の獲得であり、それらが一体的でないとなりません。なぜなら文法習得後にはじめて「いいたいこと」が現れるのではなく、文法習得過程と歩調を合わせるかのごとく、「いいたいこと」が形成期にあるからです。よって、文法中級者であれば中級程度の「いいたいこと」を持っているのが普通で、初級者に比して格段に分節化が進み、複雑な構造となっているのが分かります。本書はそういう性質を持つ文法と、コミュニケーションのあいだを探ったものであり、言語学上のシンタクス(統語論)とセマンティクス(意味論)のあいだともいえ、実にインスピレーションやアイディアに満ちた領域でしょう。そうすると、本書のようなもので英文法についてある程度の素養があれば、文法的な文をつくることが、そのままコミュニケーション過程と連続することになり、「文法以外のコミュニケーション」というものが一部の例外を除き、案外幻想かもしれないということになるでしょう。繰り返しますが、英文法はやはり英語によるコミュニケーションの本位なので、テキスト風にいうと「文法+会話」が好ましいといえましょう。同様に、日本語の場合も、国文法はやはり国語によるコミュニケーションの本位なので、文法の学習は「自分がいいたいこと」とかかわらせながら進めてゆくのがよく、「押しつけ文法」であってはならないでしょう。そうした文法学習に関する内発的動機づけは、例えば小論文などの学習でも奏功し、いわゆる現代文の読みとは表裏一体をなし、学習者の頭脳に言語的ネットワークを組み上げる形で、それは緩やかに社会性へも敷衍します。チョムスキーといえば、1960年代に華々しく登場した言語理論で知られ、生成文法論が有名ですが、その要諦は統語上の中心と意味上の中心が一致すべく、文法構造がシフトしてゆくといったもので、「いいたいこと」というのはいみじくも、文法的中心と重なるものなのだ、ということでしょう。「自己のいいたいこと」とは、文法的に形成され、生成するというテーゼを、外国語学習をつうじて今一度考え直してみたい、という向きにはぜひ本書がおすすめです。
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